神戸地方裁判所 昭和42年(ワ)80号 判決 1970年2月23日
原告
中井光博
ほか二名
被告
太陽交通株式会社
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、原告ら 「被告は原告中井光博に対し金九〇〇万円、同中井秀雄に対し金五〇万円、同中井としに対し金五〇万円および右各金員に対する昭和三九年二月六日よりそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告 主文同旨。
第二、原告らの請求原因
一、事故の発生
原告中井光博は昭和三九年二月五日午前七時四五分ごろ、第二種原動機付自転車(以下、原告単車という。)を運転して神戸市生田区下山手通七丁目九三番地先の市電下山手八丁目停留所付近の道路上を東進し、右停留所ぎわの交差点を通過しようとした際、おりから右路上を西進するため同交差点へ北から進入してきた訴外井上司運転の普通乗用自動車(兵五い四四一七号、以下、被告車という。)の左前部に原告単車が接触し、その衝撃で同原告は数メートル先の路上に転倒し、よつて、左下腿圧挫創、左下腿骨複雑骨折等の傷害を負つた。
二、被告の責任
(一) 被告は被告車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたので、自賠法三条の責任がある。
(二) 被告はタクシー営業を目的とする会社で訴外井上司の使用者であるが、本件事故は右井上がその業務に従事中、その過失により惹起されたものであるから、被告は民法七一五条一項の責任がある。すなわち、原告中井光博は原告単車を運転して、西から東へ向かつて時速三五キロメートルの速度で前記交差点にさしかかつた際、進路前方の信号は青から青の点滅にかわつたが、そのまま交差点に乗り入れたところ、前記道路へ出て西進するため、右交差点へ進入してきた訴外井上司運転の被告車が、当時その進路前方の信号は赤を現示していたのであるから、右交差点の手前で一旦停止し、信号が青にかわるのをまつて発進すべき注意義務があるのにこれを無視し、少くとも時速三〇キロメートル以上の速度でそのまま交差点に乗り入れた過失により、右井上は交差点に乗り入れるのとほとんど同時に、交差点内を西方から進行してくる原告単車を発見して急制動措置をとつたが間に合わず、三、四メートルスリップしながら前進した地点で、被告車の前部バンパー左端付近を原告単車の左側中央部のやや後方に衝突させたものであつて、本件事故は井上の信号を無視した過失に基づき惹起されたものである。このことは、右衝突地点付近路上に散乱していた被告車の左側前照燈のガラスの破片、被告車の車体から落下した白土、原告中井光博の左脚部の肉片被告車のスリップ痕等から明白である。
仮に右主張が理由がなく、原告単車が右交差点へ乗り入れたのは東進車両に対する信号が赤にかわつた瞬間であつたとしても、衝突地点は右交差点の東端近くであり、もう少しで原告単車が通過し終ろうとしていた地点であるから、井上が左右の注視義務をつくしていたならば前進してくる原告単車をいち早く発見し、一旦停止することによつて本件事故の発生を十分避けられたはずである。従つて、井上には左右注視義務を怠つた過失がある。なお被告主張の位置にマンホールのあつたことは認める。
三、損害
(一) 原告中井光博の損害
1 治療費等
イ 入院治療費 金九七万七、六七〇円
原告中井光博は、本件事故により前記傷害を負い、昭和三九年二月五日から同年一一月一八日まで金沢三宮病院に入院して治療をうけた。
ロ 付添看護料 金一九万二、九五〇円
日額八五〇円の二二七日分
ハ 交通費 金一四万一、五〇〇円
入院中における同原告の家族の右病院への交通費。
ニ 食費 金一六万八、六四〇円
昭和三九年三月六日から同年一一月一五日まで。
ホ 輸血代 金八万八、〇〇〇円
一人当たり二、〇〇〇円の謝礼、計四四人分。
ヘ 入院準備諸経費 金六万九、九四〇円
ト 通院治療費 金一万二、〇〇〇円
一日当たり約三〇〇円の治療費計二〇日分とレントゲン三回分。
チ 通院交通費 金三万二、〇〇〇円
垂水、三宮間、一日当たり一、六〇〇円の二〇日分。
リ 単車の破損 金七万七、〇〇〇円
小計 金一七五万九、七〇〇円
2 逸失利益
イ 原告中井光博は昭和三九年一月六日から神戸市灘区千旦通二丁目四四の一所在西村商店に運転助手として勤めていたが、本件事故によつて前記傷害を負い、同年二月五日から同年一一月一八日まで金沢三宮病院に入院して治療をうけ、退院後同年一二月末日まで同病院に通院して治療をうけたが完治するに至らず、現に左下腿筋群一部欠除し、骨上の植皮による異常過剰角化が認められ、下腿関節機能障害の後遺症のほか冬期右患部の疼痛に悩まされ、全然稼働できない有様である。
そこで、本件事故による逸失利益を算定すると次のとおりとなる。
同原告は前記西村商店で、毎月給与金二万七、七五〇円(日給八五〇円の二五日分計二万一、二五〇円、皆勤手当二、〇〇〇円、時間外手当一時間当たり一五〇円の三〇時間分計四、五〇〇円)を支給されるほか、同年中に賞与として金五万五、五〇〇円(給与二月分)を支給される予定であつた。なお、同年二月中は本件事故の発生した日の前日までに三日間働き二、五五〇円の給与を得た。
よつて、本件事故の発生した昭和三九年二月五日から同年一二月末日までの所得は次の算式によつて得られた金三五万八、二〇〇円である。
(27,750円-2,550円)+(27,750円×10)+55,500円=358,200円
次に、同原告は昭和四〇年度からは前記西村商店で運転手として働く予定であつたが、その給与は月額金四万七、〇〇〇円(日給一、二〇〇円の二五日分計三万円、皆勤手当二、〇〇〇円、時間外手当一時間当たり三〇〇円の五〇時間分計一万五、〇〇〇円)であつて、このほか年間二回の賞与金九万円(月給三月分)を支給されることとなつていたから、右年度からは毎年少くとも年間金六五万四、〇〇〇円の所得を得たはずである。ところで、同原告は昭和二二年八月二二日に出生し、本件事故当時満一六歳の健康体であつたから第一〇回生命表によると余命年数は五二・一四年であり、少くとも向後五〇年間は健康体で働き得たのに本件事故のため左足に前記後遺症を残す不具の身となつて労働能力は半減したので、労働能力喪失率を一〇〇分の四五とみて、五〇年後における右各収益からホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して本件事故時における一括支払い額を求めると、次の算式により得られた金七三三万九、二〇八円となる。
(358,200円×0.95238095×45/100)+(654,000円×24.41622772×45/100)=7,339,208円
ロ 仮に右逸失利益の主張が理由なきものとすると、同原告の損害として次により算出した逸失利益を主張する。すなわち、労働大臣官房労働統計調査部編昭和三八年特定条件賃金調査結果報告二〇二頁の第二表「学歴および年令階級別勤続年数、労働時間数、きまつて支給する現金給与額、所定内給与額および超過労働給与額ならびに労働者数」の男子労働者の小学、新中卒欄の給与欄の所得を年額にし、六六歳までの所得を法定利率による期限付債権名義額に対する各期の現価額を算出し、合計すると別紙計算書記載の金額となるが、同原告は前記後遺症のため全然働いておらず、生涯労働能力は全くないものと認められるから、その逸失利益は右計算書記載の金八五八万八、七五四円となるところ、右金員のうち前記イ、と同額の金七三三万九、二〇八円を逸失利益として主張する。
3 慰藉料
同原告は本件事故により長期の入院生活を余儀なくされたうえ、前途ある若さでありながら前記後遺症のため生涯を不具者として過ごさなければならなくなり、寒冷時には疼痛に悩まされる状態にあつて、煩悶の日々を送つている。右の精神的苦痛に対する慰藉料として金一〇〇万円を請求する。
4 弁護士費用
着手金 金一〇万円
報酬金 金一五〇万円
右報酬金は本訴請求に対する裁判所の判断のいかんを問わず、第一審判決時に右金額を支払う約束である。
5 右1 2 4の財産的損害額合計金一、〇六九万八、九〇八円の内金八〇〇万円と右3の慰藉料金一〇〇万円の合計額金九〇〇万円を、原告中井光博が本件事故により被つた損害としてその支払いを求める。
(二) 原告中井秀雄、同中井としの損害
原告中井光博は原告中井秀雄、同中井としの四男であるところ、右原告両名は最愛の息子の不慮の事故による受傷、入院に伴い心労を重ねたうえ、原告光博の前記後遺障害のためその将来に対する期待を打砕かれ甚大なる精神的苦痛をうけたが、これに対する慰藉料として各自金五〇万円の支払いを求める。
四、結論
よつて、被告に対し、原告中井光博は金九〇〇万円、同中井秀雄、同中井としは各金五〇万円および右各金員に対する不法行為の日の翌日である昭和三九年二月六日よりそれぞれ完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
第三、請求原因に対する被告の認否
一、請求原因第一項の事実のうち、原告ら主張の日時、場所において原告中井光博運転の原告単車と訴外井上司運転の被告車とが接触する事故のあつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
二、請求原因第二項の(一)の事実は認める。同(二)の事実のうち、訴外井上司の過失及び事故発生の経過を否認し、その余の事実は認める。
三、請求原因第三、第四項の事実はすべて争う。
第四、被告の抗弁
一、自賠法三条但書の免責
被告車には構造上の欠陥はもちろん機能上の障害も存しなかつた。本件事故は原告中井光博の全面的な過失に基いて惹起されたものであつて、被告および訴外井上司には何らの過失も存しなかつた。
すなわち、訴外井上は本件交差点で右折するため北から右交差点にさしかゝり、進路前方の信号機の進めの信号の表示に従つて、前方ならびに左右を注視し、ことに右交差点の西側横断歩道上の歩行者の動向に注意をはらいつゝ、徐行して交差点に進入しはじめたところ、山手筋道路の東行車両に対する信号は、止まれを表示しているにもかゝわらずこれを無視し、原告中井光博運転の原告単車が右横断歩行者の人影をぬつて高速のまゝ交差点内に進入してきたものであつて、井上は北から交差点内に五メートル余進入した地点(別紙現場見取図B点)で右横断歩道の東端から五メートル余交差点中央部へ寄り、山手筋道路の北側歩道の南端から車道中央へ二・五メートル寄つたところにあるマンホール付近を高速度で東進してくる原告単車を発見したものの、井上の注意は主として右横断歩道上の歩行者の動向に向けられていたため、本件事故の発生を避けることができなかつた次第である。これを要するに、井上はその進行方向に対応する信号が進めを表示したので、これに従つて徐行しつゝ(原告単車を発見して、急制動をかける直前における被告車の速度は時速六キロメートル位であつた。)、交差点内に進入したのであるから何らの過失はなく、これに反し、原告中井光博はその進行方向に対応する信号が止まれを表示しているのに、これを無視して高速のまゝ交差点内に進入したのであるから、信号無視の過失があるものというべく、本件交差点のように、信号機の設置された交差点で右折する車両の運転者としては、その進行方向に対応する信号機の進めの信号に従い、横断歩道上の歩行者の動向に注意しつゝ徐行して交差点内に進入したならばその注意義務をつくしたわけであり、右の右折車と交差する道路上を、その進行方向に対応する信号機が止まれの信号を表示しているのに、これを無視して交差点内に突入してくる車両の有無をまで確認すべき注意義務を課せられているわけではない。なお、原告ら主張にかゝるスリップ痕のあつたことは認めるが、それは他車のものであつて被告車のものではない。
二、過失相殺
仮に、右主張が理由がないとしても、原告中井光博の右のような過失が本件事故の原因の一端となつているのであるから、損害額の算定にあたり、これを斟酌すべきである。
三、一部弁済
原告中井光博の損害中、付添看護料については昭和三九年二月一五日から同年三月までの間に、金三万七、九六〇円を被告において支払いずみである。
第五、抗弁に対する原告らの認否
被告の抗弁事実はすべて争う。
第六、証拠〔略〕
理由
一、事故の発生
原告ら主張の日時、場所において、原告中井光博の運転する原告単車と訴外井上司の運転する被告車が衝突したことについては当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、原告中井光博は右衝突事故のため原告ら主張のような傷害を負つた事実が認められる。
二、被告の責任
被告が被告車を保有し、これを自己のため運行の用に供していたことについては当事者間に争いがないから、進んで、被告の自賠法三条による免責の抗弁について判断する。
(一) 現場の状況、両車両の走行経過等について
本件交差点内の西側横断歩道の東端から五メートル余、山手筋道路の東行車道を交差点中央部へ寄つたところで、右道路の北側歩道の南端から二・五メートル右車道の中央へ寄つた地点にマンホールの存することは当事者間に争いがなく、次に、〔証拠略〕を総合すると、次の各事実が認められる。
1 事故現場の状況
本件事故現場は、ほぼ東西に通じ、道路中央部を市電山手線の運行する通称山手筋(以下、山手筋道路と略称する。)とこれに北から二本、南から一本の各道路がそれぞれ鋭角的に交わる変形五差路交差点内である。右交差点には信号機が設置されていて、その作動状況は、東西が青四二秒(点滅四秒を含む。)、黄四秒、赤二〇秒、南北が青一六秒(点滅四秒を含む。)、黄四秒、赤四六秒となつており、右交差点内の東西にそれぞれ南北に通ずる横断歩道があつて、右横断歩道の外側、すなわち右交差点をはさんで山手筋道路の東西にそれぞれ市電山手線下山手八丁目停留所の安全地帯が設けられている。山手筋道路は歩車道の区別があり、車道はアスファルト舗装がなされており、道路中央部に右山手線の軌道が敷設されている、交通量のきわめて多い神戸市内有数の幹線道路である。他方、本件交差点で右道路から北へ通じる二本の道路のうち、別紙現場見取図の、向かつて右側の道路(以下、南北の道路と略称する。)は、歩車道の区別のないアスファルト舗装のなされた道路である。山手筋道路を東通してきて本件交差点の手前に達した場合、右地点付近から南北の道路の入口付近への見通しを妨げるものはなく、また南北の道路の、本件交差点の入口付近からの山手筋道路西方への見通し状況は良好である。なお、兵庫県公安委員会の定める右道路の最高速度は時速三五キロメートルである。各道路の幅員、交差の模様、信号機、安全地帯の設置状況等については、別紙現場見取図記載のとおりである。
2 原告単車の走行経過
原告中井光博は、事故当日の朝、勤務先である神戸市灘区千旦通二丁目四四の一所在の西村商店に出勤するため、原告単車を運転して、同市垂水区東垂水町字荒内一四〇四の一四所在の自宅を出発し、山手筋道路を東進して本件交差点にさしかかつたのは午前七時四五分ごろであつた。そして原告単車は東行車道中央付近を少くとも時速三五キロメートルを下らない速度で進行し、減速、徐行することなく、同一速度のまま本件交差点内に進入したものであるところ、同原告は右交差点手前の停止線を通過した瞬間、南北の道路(原告の進行方向に向かつて左側)から右交差点内に進入してきた被告車を発見し、反射的に右方へ転把して被告車の進路前方を通過しようとしたが間に合わず、西側横断歩道の東端から約一三メートル進行し、市電山手東行線の軌道北端から約一メートル北へ寄つた地点付近で、原告単車の左側ほぼ中央部付近(同原告の左脚部)に被告車のフロントバンパー左端から左前照燈にかけての部分が衝突し、その衝撃のため、原告単車は横すべり状態で、右衝突地点から一六・四メートル右斜め前方に前進して、市電東行、西行各軌道の中間地点付近に転倒し、同原告は右地点からさらに七メートル左斜め前方の、車道と軌道敷のさかい目付近に投げ出されて転倒した。この間、東側横断歩道の外側を、南北の青色信号に従い信号機の東側から市電西行停留所の安全地帯へ向かつて横断中の訴外小堀郁之介の腰部右側付近、原告単車の車体の一部が接触し、小堀は右単車の転倒地点から四・四メートル西方の市電軌道敷中央部に転倒して、前額部を負傷した。
以上の事実が認められ、〔証拠略〕中、原告単車と被告車の衝突地点は右認定の衝突地点から北(歩道側)へ一・九メートル寄つた地点であるとし、原告単車は小堀に接触していないとする部分は、前掲各証拠に照らして措信し難い。
3 被告車の走行経過
訴外井上司は、事故当日の朝、就勤後直ちに被告車を運転して被告本社を出発し、途中で客を乗車させ、本件交差点で右折して山手筋道路を西進すべく、南北の道路を南下して前記時間ごろ、右交差点の手前付近にさしかゝつたところ、その進路前方の信号は赤を現示していたので、右交差点手前の停止線(別紙現場見取図A点)で停止した。そののち被告車はローで発進して交差点内に乗り入れ、徐々に加速しつゝ交差点内中央部に進出しはじめ、時速約一〇キロメートルの速度で別紙現場見取図B点とC点の中間地点付近にさしかゝつたとき、井上はその進路右側にあるマンホール付近を東進してくる原告単車を発見し、急制動措置をとつたが、それとほとんど同時にC点付近で被告車の前記部分が原告単車の前記部分に衝突し、被告車はその場に停止した。被告車は衝突の衝撃により、フロントバンパー左端付近が凹損したほか左前照燈のガラスが破損した。右衝突地点付近路上に右ガラスの破片、被告車のフェンダーないし車体下部に付着していた土砂が飛び散り、右衝突地点から軌道沿いに、三箇所にわたつて原告単車を運転していた中井光博の、左足の肉片が落下した。
以上の事実が認められる。ところで、原告らの主張するように、もしも被告車が本件交差点の手前で停止することなく、時速三〇キロメートル以上の速度のまゝで交差点内に進入してきたところ、原告単車を発見して急制動措置をとつたものとするならば、事故現場付近の道路はアスファルト舗装されていて、路面状況は良好なのであるから、実験則上現場には長さ四、五メートルにわたるスリップ痕(スキッド・マーク)が残されていなければならないものというべきところ、被告車の残したスリップ痕のあつたことは認められない。もつとも〔証拠略〕によれば、別紙現場見取図B点付近からC点付近にかけて当時二条のスリップ痕のあつたことが認められるけれども、〔証拠略〕によれば右スリップ痕は被告車の車輪幅と一致せず他車の残したものであることが認められ、右のスリップ痕が、被告車のものであるとする〔証拠略〕は、右の証拠に照らして措信できず、その他本件全証拠によつても被告車のものというべきスリップ痕の存在を認めることはできない。また右衝突以後の原告単車の進路、転倒状況等に照らし、被告車が高速度で原告単車に衝突したものとは認めがたい。
次に、被告は、被告車は別紙現場見取図B点付近に至つて、交差点内西側にあるマンホール付近を東進してくる原告単車を発見したが、右B点付近における被告車の速度は時速六キロメートル位(秒速約一・六六メートル)であつたと主張するのであるが、もしそうだとすると、B点から衝突地点の同見取図C点までの距離は五メートル近くあり、かつ原告単車は僅か一秒足らずでマンホール付近からC点を通過しうるのであるから、たとい井上の急制動措置が多少遅れたとしても、なお衝突を避けることができたものといわなければならず、従つて、被告の右主張の速度及び発見地点は首肯しがたく、これにそう〔証拠略〕は措信し難い。そして、原告単車が時速三五キロメートルを下らない速度で進行していたこと、B点とC点との距離が五メートル近くあることから推すと、井上が原告単車を発見した位置はB点からさらに進行して、前記認定のとおり、B点とC点の少くとも中間地点付近に到達した後であつた、と推認され、また右地点における被告車の速度は、井上が別紙図面A点よりローで発進し約一一メートルの地点で本件の事故が発生していること、原告単車を発見して急制動の措置をとつたのにそのスリップ痕の存しないこと、被告車の衝突部位の破損の程度、衝突の衝撃により現場に落下した被告車の土砂、中井光博の傷害の程度などから推すと、前記認定のとおり、時速約一〇キロメートルであつた、と推認される。
(二) 井上の過失の有無について
〔証拠略〕によると、被告車が別紙現場見取図A点を発進する際、本件交差点内にある西側横断歩道を北から南へ横断しようとしていた二名の女子学生を含む数名の歩行者のいたこと右横断歩道を南から北へ横断しかけていた歩行者も数名いたこと(被告車は山手筋道路を西進するため本件交差点で右折しようとしていたので、井上の注意はもつぱら右横断歩道上の歩行者の動きに向けられていたであろうことが推測される。)、被告車がB点付近にさしかかつたときは、少くとも南北の信号は青を現示していたことがそれぞれ認められ、右の各事実に前記認定のように、東側横断歩道の外側を、青の信号に従い、信号機の東側から市電西行停留所の安全地帯へ向つて横断中の訴外小堀郁之介の腰部右側付近に、原告単車が接触した地点は北側歩道の南端から南へ八メートル余進んだ市電軌道敷の中央部付近であつた事実を併せ考慮すると、被告車が同見取図A点を発進したのは、南北の信号が赤から青にかわつた直後であつたと推認される。従つて、井上には信号を無視して進行した過失は存しない。
そこで、その進路に対応する信号が青を現示したので本件交差点に進入した被告車につき、さらに信号を無視して、進路右側方から、東行車道を進行してくる車両のありうることを予想して、進路右側の東行車道に対する安全を確認すべき義務が存するか否かを考えてみるに、交差点の規模、態様、見通し状況などから観察して、なお右のような場合においても右の注意義務の要請される特別な事情のある場合は格別、そのような事情のない本件交差点においては、その進路に対応する信号が青を現示している以上、東西の信号は当然赤を現示しており、従つて東進車両はないものと判断した被告車の井上の信頼は保護されるべきものであるから、右井上が前記B点を過ぎてから原告単車を発見したことにつき過失責任を問うことはできないものと解する。むしろ被告車は山手筋道路を西進するため、本件交差点で右折しようとしていたのであるから、井上の注意がもつぱら西側横断歩道の歩行者の動きに向けられていたことは当然である。もつとも、右の場合における井上の徐行義務が検討されなければならないけれども、前記認定のように、当時被告車の速度は時速約一〇キロメートルであつたと認められるので、右折西進車としての徐行義務に違反していたものとはいえず、他に右の判断を左右にすべき証拠はない。
してみると、結局、被告車の運転者たる井上に運転上の過失は存しないものというべく、本件事故は原告中井光博が交通信号を無視して交差点を通過しようとした過失により発生したものと認めるのほかない。
以上の認定に反する〔証拠略〕は措信し難い。
(三) 結論
被告車に構造上の欠陥または機能上の障害がなかつたことは証人勝木正の証言によつてこれを認めることができ、右事実および前記(二)の事実によれば、結局、被告の自賠法三条但書の免責の抗弁は理由がある。
三、結語
以上の次第であつて、被告は運行供用者としての責任はもちろんのこと、被用者たる井上に過失がないのであるから使用者としての責任をも負わないことが明らかである。
よつて、原告らの請求はいずれも理由がないから失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 原田久太郎 竹田国雄 岡本多市)
現場見取図
<省略>
計算書(円以下切捨)
17歳 12,831円×12ケ月×0.95238095=146,639円……………………1年
18~19歳 20,266円×12ケ月×2ケ年×0.86956521=422,942円…………3年
20~24歳 27,431円×12ケ月×5ケ年×0.71428571=1,175,614円………8年
25~29歳 32,987円×12ケ月×5ケ年×0.60606060=1,199,527円………13年
30~34歳 34,362円×12ケ月×5ケ年×0.52631578=1,085,115円………18年
35~39歳 35,359円×12ケ月×5ケ年×0.46511627=986,762円…………23年
40~49歳 34,718円×12ケ月×10ケ年×0.37735849=1,572,135円………33年
50~59歳 34,349円×12ケ月×10ケ年×0.31746031=1,308,533円………43年
60~66歳 28,812円×12ケ月×7ケ年×0.28571428=691,487円…………50年
上記合計金 8,588,754円